○与謝野寛・晶子 句碑(手水舎横)
しらひげの 神のみまへに わくいづみ
これをむすべば ひとの清まる
上の句…寛、下の句…晶子
大正初年参拝の2人が、社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は寛(鉄幹)、下の句は晶子の作である。
大正7年(1918)京都延齢会が手水舎を再建、その記念として同年12月この歌碑を建立した。揮毫は寛の手であり、全国にある与謝野の歌碑の中で最も古い頃のものといわれる。
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○芭蕉 句碑(境内旧街道南出口付近)
四方より 花吹き入て 鳰の湖
この句は芭蕉47歳の時の作である。
安政4年(1857)蕉門の人たちによって建立。
○紫式部 歌碑(石段上 南)
みおの海に 網引く民の てまもなく
立ちゐにつけて 都恋しも
源氏物語の作者紫式部が、平安時代の長徳2年(996)、越前国司として赴任する父藤原為時に従って、この地を通った時に詠んだものであり、「近江の海にて三尾が崎といふ所に網引くを見て」という詞書がある。
昭和63年(1988)4月紫式部を顕彰し、高島町観光協会が建立。
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○羽田岳水 句碑(石段上 三社南)
比良八荒 沖へ押し出す 雲厚し
羽田岳水は「馬酔木燕巣会」主宰、昭和49年の作。
碑は平成2年(1990)5月に機関誌「燕巣」400号を記念して、「比良八講」ゆかりの当社境内に建立。
○中野照子 歌碑(石段上 天満宮南)
吹き晴れて 藍ふかまれる 湖の
光となりて かへりくる舟
中野照子は滋賀県大津市出身で、「好日」編集責任者。
中野照子歌碑建設委員会が平成16年(2004)5月に建立。
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